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    ~お笑い芸人 ダブルウィッシュ中川様から人生の「決断」と「継続」を学ぶ~
    【前編】本気で好きだから10年間は耐えると決めていた。だから「決断」ができた。

ASPIRATION代表のひとり言

2018/12/20

特別企画 | 人生の「決断」「継続」とは何か?
~お笑い芸人 ダブルウィッシュ中川様から人生の「決断」と「継続」を学ぶ~
【前編】本気で好きだから10年間は耐えると決めていた。だから「決断」ができた。

私達の人生には、常に「決断」があります。そして「決断」して終わりではなく「継続」していくことも求められます。
今回、『アジア版「あなたの街に住みますプロジェクト」の芸人』としてベトナムで活躍されているお笑い芸人のダブルウィッシュ中川様に、お笑い芸人として生きていくことを決めた人生の「決断」と「継続」についてインタビューをしました。現在ご自身の「決断」「継続」にお悩みの方は、中川様のお話をご自身に置き換えてお読みいただければ、何かヒントを得ることが出来るのではないでしょうか。今回のインタビュー記事が、皆さまに何か一つでも気付き・ヒント与えるきっかけになれば幸いです。

 

ダブルウィッシュ 中川 新介 様
よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。東京NSC13期生。2008年4月に同郷の井手一博氏とダブルウィッシュを結成。2015年より『アジア版「あなたの街に住みますプロジェクト」の芸人』として、ベトナム・ホーチミン市に拠点を移し、ベトナムで有名なお笑い芸人になるために、ベトナム語でネタを披露するなど日々奮闘中。

 

本日はインタビューをお願いします。まず、中川さんがお笑い芸人になろうと思ったきっかけを教えてください。

小学生の時からずっとお笑いが好きでした。お笑い番組を見たりお笑い芸人の方が書いた本も読んだりして、とにかくお笑いに触れていました。そして中学生の時ぐらいにアナウンサーになりたいと思い始めました。
アナウンサーと言っても、報道番組のアナウンサーではなくて、お笑い芸人の方がやるような番組のMCのようなアナウンサーです。中学の卒業文集に、将来はアナウンサーになりたいって書きましたね。

アナウンサーになるためには東京の大学に行く必要があると思いました。そのために中学卒業後は熊本県内の一番の進学校に行き、そして東京の大学に入りました。

中学生の時から将来の就きたい職業のことを考え、それに向けて行動されてきたのですね。東京の大学にご入学されて、その後はどうされたのですか?

大学生の時の就職活動でアナウンサーになるためにテレビ局を受けました。でも、全部落ちました。全部落ちたことでアナウンサーになれない現実と向き合わなければならず、改めて自分の人生について考えなくてはなりませんでした。

そこでなぜアナウンサーになりたかったのかその気持ちを考えていくと、自分は元々お笑いが好きという答えに辿り着きました。そこでお笑い芸人になることを決めました。

序盤から早くも盛り上がる二人(左:ダブルウィッシュ 中川様 右:弊社代表 福田)

序盤から早くも盛り上がる二人(左:ダブルウィッシュ 中川様 右:弊社代表 福田)

中川さんは東京の有名私立大学をご卒業されています。周囲のお友達は一般企業に就職される方などが多かったと思います。その環境の中で、一般企業への就職ではなくお笑い芸人になることに迷いはありませんでしたか?

アナウンサーがダメだと分かってからは、お笑い芸人になることを決めていましたので迷いはありませんでしたね。
強いて迷った点を上げると、大学のゼミが好きだったのでそのまま博士課程に進むのもいいかなという思いがよぎったことはあります。ゼミは人口(Population)に関する研究をしていて、教授も僕のことをすごく可愛がってくれました。当時は教授についていこうかなという迷いはありましたが、一般企業への就職は一切考えていなかったですね。

一般企業への就職は考えられていなかったとのことですが、お笑い芸人の世界は完全に実力・結果主義であり、一般企業へ就職と比べると非常に厳しい世界だと思います。それを覚悟の上でお笑い芸人の世界に入ると「決断」できたのはなぜでしょうか?

お笑い芸人の世界が厳しく、そんな簡単に結果が出るような世界ではないことも分かっていましたので、自分の中で10年間は続けるという期間の区切りを設けていました。何があっても10年間は耐え、それで10年経っても食えないのであれば辞めようと決断しました。だから10年間はお笑い芸人の世界でやるということだけを考えていましたね。

10年間と期間を決めたわけですが、10年間1つのことを「継続」していくことは簡単なことではありません。時には厳しい場面もあったかと思います。それでも「継続」することが出来たのはなぜでしょうか?

一つは、純粋にお笑いが好きいうことです。
もう一つは、周囲の人に認められることが自信に繋がったことです。認められるとは、「面白かったよ。」って言ってもらったり、仕事をいただいたりした時などですね。
僕の所属している吉本興業では6層ぐらいのピラミッド構造に分かれています。3年目ぐらいには上から3つ目の層にいたりしました。自分達が上に向かっていることが分かれば、それが自信になりました。6年目ぐらいには相方が人気テレビ番組に出演させてもらい、多くの人にダブルウィッシュを知ってもらえる機会も頂きました。
この様に目に見える形の結果が自分の自信となったので、継続することが出来たと思います。

過去の成功にしがみつくのではなく、過去の成功を自分の自信とすることが、苦しい状況を乗り越える際の支えになったのですね。

過去の成功を含め、自分達の成長を客観的に見ることを大事にしています。お笑い芸人の世界は人に受けるか受けないかですので、自分の状況を客観視して周りの意見も聞くようにしています。

お笑い芸人の方は個性で勝負されるイメージがありましたので、周りの意見を聞くというのは意外な印象があります。

全ての意見を聞くわけではありません。意見を聞いても、取る(活かす)情報と取らない(活かさない)情報に分けています。

現在は多くの情報が容易に手に入ります。多くの情報がある中で、取る(活かす)情報と取らない(活かさない)情報はどのように分けているのですか?

自分が信頼している人からの言葉は、取る(活かす)情報として受け取っています。僕が信頼しているということは、相手も愛情を持ってくれていることだと思います。だから、その言葉も愛情を持って言って下さっていると思うので、それは受け入れるべき取る(活かす)情報だと思って聞いています。

それに加えて、愛情を持って言ってくださっている方、つまり僕達を応援してくれている人に対して返していきたいという気持ちがあるから、素直に受け入れることが出来ているのかなと思います。

情報過多の時代だからこそ、誰から/どこからの情報を取る(活かす)のかは常に意識しておくことが重要になりますね。続いての質問ですが、吉本興業様の企画『アジア版「あなたの街に住みますプロジェクト」の芸人』としてとして、この度ベトナム・ホーチミン市に拠点を移したわけですが、当初この企画のお話を聞いた時はどのような印象でしたか?

この企画の前に日本の47都道府県を対象にした企画「あなたの街に“住みます”プロジェクト」がありました。その時に、相方と地元の熊本県に活動拠点を移すか話し合いをしました。でも熊本で売れたとしても、東京で売れている芸人が熊本に来たら東京の芸人の方が受けるから、東京の芸人には勝てないと思いました。だから、これは自分達が考えているものと違うなと思いましたね。

その話し合いの時に、「日本ではなく海外版があるなら挑戦してみたいよね。」という話もしました。海外でその現地の言葉で笑いが取れているならば、例え東京で売れている芸人が来ても、現地の言葉で笑いが取れている自分達の方が強いと考えていました。

では今回の企画のお話が来た時は、迷うことなく手を挙げられたのですか?

即答ぐらいの感じで飛びつきましたね。ちょうどその時はコンビを組んで7~8年目でした。先ほど言った10年間も迫ってきて、お笑い芸人を辞めるか辞めないかがチラつき始めた時期でした。その時はピラミッド構造の中でも一番下まで落ちていて、ネタ作りも苦戦をしていました。お仕事は頂いていたものの、お笑い芸人としての収入は月2~3万円でした。今回の企画のお話が来た時はチャンスだと感じ、すぐに決めましたね。

あと僕は結婚もしていたので、10年間やってダメなら辞めようと決めていた中で、もし辞めるとしても最後に一発懸けて(チャレンジして)辞めようという思いもありました。

ベトナムに来るまでの経緯を丁寧にご説明いただく(ダブルウィッシュ 中川様)

ベトナムに来るまでの経緯を丁寧にご説明いただく(ダブルウィッシュ 中川様)

現在、奥様もベトナム・ホーチミン市で一緒にお住いとお伺いしております。今回の企画のお話を奥様にされた時、奥様の反応はいかがでしたか?

当初妻には、具体的な内容は伝えていませんでした。だから妻は、日本の「あなたの街に“住みます”プロジェクト」と勘違いして、てっきり僕の地元の熊本県など日本のどこかに行くと思っていた様です。

その後ベトナムだということが分かると、「大丈夫なの?やっていける?」と言われました。それはベトナムでの生活よりも、僕達お笑い芸人としての成功がベトナムにあるのかという点で心配しての言葉でしたね。

当初は奥様もご心配されていたわけですね。では、どのようにして奥様にご納得いただいたのですか?

これが最後と言いました。このベトナムでダメなら日本に帰って普通に仕事するという約束で納得してもらい、付いて来てもらいました。妻は僕が家でやれないことを全部やってくれていたりするので非常に助かりますね。

中川さんのベトナムでのご活躍の背景には内助の功もあったのですね。次はベトナムと日本のお笑いの違いについてお伺いしたいと思います。

 

【後編】応援してくれる人への感謝の気持ちがあるから、お笑い芸人を「継続」することができる。は、こちら